「インディー・ジョーンズ 最後の聖戦」の聖杯について妄想してみた
幼少の頃から観て好きなアドベンチャー映画の殿堂の一つです。テンポよく飽きさせない展開や、笑わせてくれる台詞、また過去作品などを知っていればクスっとくるオマージュ、今聞いても飽きない曲…。褒め過ぎかもしれませんが私個人はインディー・ジョーンズシリーズの中では一番好きです。
さて、改めて視聴して、ふと最後の聖戦で求めた宝、聖杯について疑問が出てきました。
あれって本当に聖杯だったの?
聖杯――キリストの血を受け奇跡(神の御業)を顕現させる聖遺物。最後の聖戦では不死をもたらす伝説が付随しています。
<<!!ATENSION!!>>
歴史に明るいわけでも、映画事情に明るいわけでもなく、あくまで妄想です。
・聖杯を守る秘密の宗教集団「十字剣の兄弟」はハタイ共和国という架空国家の中東系の人員で構成されていました。恐らく現地で結成された集団で、代々その務めを果たしてきたイスラム教圏の人。
・しかし、実際に聖杯を守るのは最初の十字軍の騎士で三兄弟のうちの一人。帰郷先か、とりあえず没後はヴェニスに埋葬されたようなので一応キリスト教圏の人。
宗派の違う存在がそれぞれの方法で聖杯を人目から隠していた。余談ですがこの辺関係の映画では「キングダム・オブ・ヘブン」がすごく好きです。
さて、異なる宗派ですが聖杯を守ることに関しては共通の見解を持っているようで、帰還した騎士の盾にも十字剣があるところをみると接点はあったはず。
・十字剣の兄弟は聖杯の探求をするものをことごとく抹殺。→誰も近づかせない。
・聖杯の霊験で生きながらえていた騎士は仕掛けの先に籠城。致死性の試練付き。→誰か引き継ぐにしても相応しい者を。
と、考えると聖杯をどうしたいかに関しては意見が違うように感じました。
また、聖杯そのものも非常に不便、というか怪しいツールです。
まず「”大いなる紋章”――十字剣の紋章を超えてはならない」という禁忌が付いています。
騎士は”不死性”は紋章を超えると失われると言ってたので、言葉だけでとらえると聖杯が紋章を超えても癒やしの力そのものは失われないかもしれない…しかし紋章を超えたところ神秘の神殿そのものが大崩壊。
つまり聖杯を持ち出すこと自体が禁忌だった、と。
これは聖杯を”守る”というよりは”封印”していたのではないかという印象です。
なので最後の聖戦の聖杯は聖遺物ではなく”呪物”だったのではないでしょうか?
騎士はその聖性により延命していたので、その奇跡を強く強く信奉していたようですが、十字剣の兄弟の者はその存在を一般の知るところにならないよう死力を尽くしていた。
私が想像した最後の聖戦の聖杯は…
十字軍遠征の際に呪物に変わってしまったもの、ではないでしょうか。
十字軍は遠征の際、虐殺や略奪といった蛮行で当時中東諸国で有名。
恐らく十字剣/ハタイ共和国の前身の国家は十字軍に蹂躙。
騎士たちは戦利品と聖遺物を求める。
そこで”不死の呪いをもたらす聖杯”を十字軍に提示。トリガーが十字剣の紋章なのを考えると、十字剣に関わる者が所持していたか、作り出していたはず。
神の奇跡を求めた蛮勇な騎士に与えるある意味最も重い罰/呪い。
しかし騎士はその呪いを祝福として享受。神の奇跡として疑わない。
二人の兄弟は帰還し、一人は残るというところから、今後その不死性を奇跡として求める新たな騎士が訪れるのを危惧した十字剣の兄弟が神殿を要塞化。探索者を抹殺。
そして数百年…
みたいな。
聖杯ももともとはキリストの聖杯だったけれど、十字軍の遠征による蛮行が神の怒りに
触れ、聖杯は不死をもたらす呪物となった――とかでも面白いかもしれない。
そんなことを妄想したのでした。