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Shilhouette

せっかくなんで観た映画を徒然なるままに

【映画】レヴェナント:蘇りし者/The Revenant(2015)【感想】

ディカプリオが出演している映画は割とハズレがないと思います。あ…でもハズレではないんですが「ジャンゴ 繋がれざる者Django Unchained(2012)」は一回見ただけでお腹いっぱい系だったですかね…悪役ディカプリオは素敵でした。(…なんか邦題似てますね…。)

何の予備知識もなく視聴。宣伝ポスターでリアム・ニーソンの「ザ・グレイ 凍える太陽/The Grey(2012)」のようなサバイバル映画と勝手に推察。(これもなんか邦題の雰囲気が似てr…)

アカデミー賞3冠。主演:レオナルド・ディカプリオ×音楽:坂本龍一×監督:A・G・イニャリトゥのドリームチームで放つ、映画史上に残る強烈で壮大なサバイバルドラマが誕生した。過酷な自然の中で生き延びたハンター、ヒュー・グラスの実話を映画化。復讐の先に何かあるのか―。レオナルド・ディカプリオが悲願のオスカーを手にした迫真の演技で魅せる壮大なサバイバル・アドベンチャー

R-15も納得の人間汚い系映画。そしてディカプリオ主演男優賞も納得の戦慄の演技。

淡々としているのに壮絶。

観終わると戦慄と虚無感に心を抉られたようになる作品でした。

ただ「第9地区」や「アバター」と異なり人間不信になる感じではなく、復讐に燃えた人間が燻り燃え尽きて仕舞う様を大自然と対比的に描いた巨作に思います。

 

ネタバレ感想ダラダラと…

 

 

カテゴリーとしてはウェスタン映画です。しかし勧善懲悪のアドベンチャー映画ではなくサバイバル映画(その点では「グレイ」っぽいというのは正解だったかも)ではないでしょうか。サバイバルの対象は自然だったり人間だったりととにかく過酷です。

 

映像としては非常に自然光が美しい映画です。朝もや、霧、雪や朝日。どれもが輝いて見えます。美しい情景です。これは是非4Kでの視聴を、と推奨したくなるくらい。

その美しさの中に紅一点の醜さを湛えた人間たちが奮闘(survive)します。

 

序盤のインディアンの襲撃――どこか「プライベートライアン」を思い出す開幕戦。人が毛皮をめぐって殺しあっている様は野蛮で先住民も開拓民も同じ感じに見えました。どっちが善ということはない。どっちも野蛮、そしてその人間らしさに「汚い!人間汚い!」という気持ちを効果的に高めてくれます。

 

余談ですが、私が認識する”人間らしさ”は基本的には”本能的な野蛮さ”であるという指摘を頂きましたw

「憎けりゃ殺す、それが人間というもの」

「なんと悪魔的な――人間らしさかと」

というゲーム「真・女神転生ノクターン マニアクス」の台詞にとても共感します。

多くの作品に描かれる理性的で賢明であり、愛との節制の取れた”人間らしさ”に対して非常に懐疑的です。

この作品でも、描かれる不測の事態/極限状態での行動が”人間らしさ”であると感じるのです。

 

そしてディカプリオ主演男優賞受賞も納得のグリズリーに襲われるシーン。

このシーンはもう驚愕としか…その演技に刮目せよ!と言いたいのですが、それこそ目を背けたくなるような(実は思わず何度もそむけました)凄まじいシーンです。本当に息がつまりました。いつ死ぬかわからない。生きているのが不思議。しかし必死に生きようと抗いもがく姿にただただ戦慄するばかりです。

私は実際こんな目にあったら生きることを放棄しそうです。

 

生き残ったことを喜ぶことも出来ない重症を負ったディカプリオことヒュー・グラスを連れ、仲間はなんとか帰還させようとしますが、重症者を背負って峠を超えることができず決断を迫られます。先住民の追手などもあり危急。

隊長はヒュー・グラスが死ぬまで見届けるものを募り、置いていくことを決断。

残ったのはグラスの息子ホーク(先住民とのハーフ)、ジョン・フィッツジェラルド(がめつい)、ジム・ブリッジャー(若僧)の三人。

 

生死の狭間でバッファローの頭蓋骨の山や死んだ奥さんのヴィジョンを見るグラス。作中に何度もでる印象的なシーンでグラスの心象風景だとおもいます。

ヴィジョンの中で

「息ができるかぎり戦え」

と生きることを鼓舞する言葉がグラスを生にしがみつかせます。

詳しくはないのですがアメリカ先住民における「息」とはすごく重要なものを指している気がします。生きることの基本というだけではなく信仰的なものを感じる台詞かと。

 

グラスが死と戦ってる最中、死を見届けると誓約したはずのジョンは我慢しきれず(追手のこともあり、恐怖から気が急いていたのだとは思いますが…非常に不誠実)、グラスに語りかけ安楽死という名目で殺そうとします。

しかしすんでのところでホークが阻止。

そこで揉み合いになった末、何故かジョンは取り出したナイフでホークを殺害。

ジョンの不誠実さもここまでのことをしなければ大罪にはならなかったかもしれない…。息子を面前で殺され絶望と失意に打ちひしがれるグラス、しかし怪我のため声もあげられない。

その場にいなかったため何も知らないジムは、ホークの失踪に首を傾げつつもそのような事態になったなど想像もつかない。

風で木々の軋む音が怨嗟の声のように感じられます。

 

 

翌朝、先住民の追手が迫っているとジムを急かし逃げ出すジョン。

まだ生きているのに中途半端に墓に埋められるグラス。

ジムは抗議しますが差し迫る追手の恐怖からジョンについて逃走。

追手が迫る中 置き去りにされたグラスですが、中途半端に土をかけられたことで寒さから身をまもれたのかもしれません…。 やがてグラスは気力を振り絞り墓穴から這い出ます。その姿はまさにレヴェナント(蘇り)。

ホークの血痕をたどり埋葬もされず打ち捨てられた死体の元で涙するグラス。

 

一方逃げ出したジョンとジムは朝を迎えます。

あれ?追手は?と思ってたらやっぱり追っ手なんかいなかった的な…。 

ジョンを支配しているのは恐怖。グラスとはある意味対照的に、恐怖を克服せずに誤魔化すことで生き延びる男。一人で行くことは出来ないのに、誰かを犠牲にすることは厭わない男です。

 

哀しみを終え涙も枯れ果てたであろうグラスは、復讐心から体を引きずるように前進させます。

 

そこに追手が迫ります。

このシーンになって「確かにあのまま居続けても見つかったのだなぁ」とジョンの正当性というか判断の妥当性を思うのですが…ホークを殺害したとなっては話しは別。

 

復讐心を起爆剤にジョンを追跡するグラス。 

追手や自然、自身の負った傷からのサバイバルが始まります。

川で傷口が塞がりきっておらず血を吐きながら水を飲む姿がとても痛ましく、いつかやると思っていましたが傷口に火薬を詰めて焼いて塞ぐあれ…などなど極限のサバイバルシーンが満載です。Man Vs Wildもびっくり。

 

生死の境でグラスを襲うヴィジョン、グラスを包む自然、グラスに迫る追手という危機、偶然の出会いに癒されるも、この時代の残酷さがもたらす別れなど総じて悲劇的な方へ転がり落ちていきます。

 

それらを経て満身創痍で隊と合流したグラス、そして暴かれるジョンとジムの罪。

 

隊長に殴られるジムを冷たく見つめるグラス――しかし後に隊長にジムの免罪を告げます。一方勘のいいジョンは直前に逃亡(この辺は羨ましいくらい。グラスを置いていった時のように自分に迫る脅威に敏感なのかもしれない。しかしここでも不誠実さを発揮、隊長の金庫からちゃっかり持ち逃げ。ジョンの罪はこの不誠実さにつきます)。

 

怒り心頭で追跡するグラスと隊長。(人は割けないだろうけれど何故2人で行った…)

 

不運にも隊長はジョンの銃弾に倒れ(フラグを立てまくったので回避するすべ無し)、因縁の2人で対決することに。

雪の中でほとんどの音が吸い込まれる中、呼吸音や木の音、追跡する足音が緊迫感を高めます。BGMだけでなく自然音が非常に効果的に作用していると思います。

川辺にて追い詰め/追い詰められた時、双方ここで決するほかないといった張り詰めた空気は雪景色もあり刺すような感じです。

ジョンのホーク殺害に対する言い訳じみた弁明。

グラスはジョンにこの怒り/復讐は自分の死の取引のことではなく、息子を殺したことだと告げますが、ジョンはそれを「もう仕方のないこと」「どうでもいいこと」という不誠実さで応えます。これはもう赦しとかそういう余地もない状況に。

血みどろの決闘の末、最期まで復讐を貫いた主人公はこれも生き残り(survive)ます。いざ復讐を果さんとした時に思い出したのは道中であった先住民の言葉…

「復讐は神の手に」

「俺の手にはない」

それを復唱するとグラスはジョンを川に投げ込みます。

 

何故かそのジョンを追跡していた先住民が討ち取り、グラスを一瞥して去っていきます。なぜグラスを放置していったのか?グラスが道中、先住民が探し続けていた娘を助けた為なのか…真意は不明です。

 

残された手負いのグラスの前に再び奥さんが現れます。

これまで生死をさまよう最中、ずっとほほえみかけていたのですが、ついに主人公に背を向け去っていきます。

主人公は取り残され――幕。

フェードアウトした画面には主人公の「息」だけが聞こえる…。

 

観終わるとものすごい喪失感に襲われました。

 

ジョンは最期に「復讐のために来たのか?息子は戻らないし、人生を楽しめよ」という至極まっとうなことを言うのですが、これジョンが言ってはいけない言葉なんですよね。だってジョンは奪った側の人間ですから。

そんなジョンに対して自分で手を下さなかったグラスは偉いような…?

でも復讐によって気が済んだけれど、終われば手元に本当に何も残っていない。

なんにも得るものなんてなかった…!

そもそも奥さんは昔に亡くなっているし、復讐の契機となった息子も死んでしまったわけだし…。その喪失感を埋めるための復讐だったかもしれない。でも埋まるわけもない。無くなった命を埋める代替品などありはしないのですから…。

なんとなくこの先、グラスには「楽」というものが見えなくなってしまうのだと思います。そしてエンディングを見ると、奥さんとも息子とも同じ所にいけないような…。

 

結果論ですがジョンの言う通りの結末になる(逃げないと追手が迫ってるとか、復讐に執心するよりも楽しく生きろとか)という皮肉さが、さらに後味悪くさせるといいますか…。

ジョンは不誠実で殺人者ですが、正しくなかったわけではないような…。

いやでもジョンは正しくないと思う。他にも選ぼうと思えば選べたのだから。ホークを殺すこともなかったのだから。

 

ありがちな展開として偶然救出する形になった先住民の女性と良い仲に…ということもありませんでした!すごい!(個人的にはそれがgood!)

 

主人公はこの復讐の旅の末、孤独しか残りませんでした。

 

”生きることは孤独”ではなく、”孤独に生きる”ことになった映画ですね。

ただ求め生き抜いただけ。ごくあたりまえのことですが、生き残ったものが生きているだけ。これからもそうであるように。

それを抉るように描いた作品だと思います。

 

併せてリアム・ニーソンの「ザ・グレイ 凍える太陽」も見ると良いかもしれません。エンターテイメント性/アクション要素はそちらのほうが上です。

自然の美しさや人間性等は圧倒的に「レヴェナント 蘇りし者」の方が良いです。

長い映画ですので秋の夜長には…ある意味あっているかも?

でも人間関係疲れている時の視聴には注意が必要かと思います。